« 2008.3.議会陳20-11賛成討論原稿 | トップページ | 2009.3陳情第21-2号(参考掲載) »

2009年4月21日 (火)

2009.3.議会陳21-2反対討論原稿

動議を2回、「継続の動議」、「総務文教委員長不信任決議」をあげて論争しましたが、「継続の動議」は9対10で否決。「不信任決議」は賛成者1名ほかにあり取り上げられたものの、2対17で否決されました。

私の市議会報告にある。(2対19)は印字の誤りで、(2対17)が正しいことをお断りしておきます。福生市の総議員数20名、議長をのぞく19名での採択です。なお、内訳は正和会9(議長1名のぞく)、自由クラブ1の計10名が「継続の動議」に反対したものの、公明党4名、市民派未来クラブ3名、民主党1名、私、共産党1名の9名が「継続の動議」に賛成したものです。

以下が、2009.3月議会5日目

陳情第21-2号「福生市議会の議場に国旗及び市旗の掲揚を求める陳情書」について、反対の討論をした準備原稿です。

 陳情第21-2号 福生市議会の議場に国旗及び市旗の掲揚を求める陳情書について、反対の討論をさせていただきます。
 「日の丸」掲揚が、宮城遙拝と一体をなす毎日の「朝礼」の一環として学校教育の場に登場したのは、1930年代、日本が15年戦争、1931年9月18日からの「満州事変」、1937年7月7日からの日中全面戦争、1941年12月8日からのアジア太平洋戦争をへて1945年8月15日の敗戦に至る、足かけ15年にわたる一連の戦争に突入した時期に属します。
 1870年、明治3年10月3日、明治政府は、郵船、商船、軍艦として「日の丸」を掲げるよう定めました。「日の丸」が、日本という国家を象徴するものと位置付ける法令は、この太政官布告以外には、国旗・国歌法が1999年、平成11年に制定されるまでは存在しませんでした。単に法令が存在しなかっただけでなく、政府は日の丸の掲揚について、1920年代までは全く熱意を持たなかったと言えます。
 外国人と接触する機会が多い開港場における官公署に関して、日の丸の掲揚を指示する通知が1872年、明治5年に発せられたことがありましたが、1877年、明治10年12月には、すべての官公署に対して「国旗掲揚するに及ばず候」と命じています。小学校の設備準則中の学校必需品目の規程にも、「国旗」ないし「日の丸」は含まれていませんでした。
 日の丸を事実上の国旗とし、その掲揚を推進する政策は、1920年代以降に本格的に登場したものです。1924年、大正13年9月3日事務次官会議が、「国旗掲揚に関する件」として、「国旗は国家の表章として最も敬意を表すべきものなり。国家的祝祭日に当たり官庁率先して国旗を掲揚し民間各戸又之を掲ぐるに於いては国家的意識を闡明し、国民的精神統一の一助たらしむることを得ん。」との決定をし、この決定をうけて、国家祝祭日においては官庁に「成る可く国旗を掲揚する」ことを定める内務省訓令が発せられました。
 その後、1931年、昭和6年3月には、議員提案にかかる「大日本帝国国旗法案」が、衆議院で可決されましたが、貴族院に送付後廃案になりました。大日本帝国のシンボルとしてはすでに天皇そのもの、及び「御真影」が存在し、旗としても菊花を描いた「天皇旗」が存在する以上、ほかの旗を「国旗」とするまでもないと、「皇室の藩屏」である貴族院が判断したためでしょう。
 一般の小学校においては1931年の満州事変以降のことでした。日の丸は、朝礼における儀式として導入され、かつ宮城遙拝を伴うものでした。「御真影」はあまりにも厳かなものであって、日常的儀式に用いるにふさわしくないので、いわばその変わりとなるカジュアルな視覚的シンボルとして「日の丸」が登場したと言えます。その後の学校教育の場において、「日の丸の旗」も修身科の一章を割いて取り扱われました。第5期国定修身教科書の国民学校3年用は「日の丸の旗」の章に次のように記述されています。
 「…敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集まって、聲をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。日の丸の旗は、日本人のたましひと、はなれることのできない旗です。」とあります。
 日中戦争を報道する記録映画には、「日の丸の旗を振って日本軍の行進を歓迎する中国民衆」の姿がしばしば紹介され、それが戦争目的の「正しさ」を日本国民に訴える役割を果たしました。ですから、日本軍に征服された外国の民衆にとっては、「日の丸」こそが「大日本帝国」を象徴するものでした。
 このように、「日の丸」こそが日本の戦争地域の拡大とともに、「軍国日本」として世界に象徴されるものになった経過です。
 日本人310万人、日本の軍人によって、アジアの人々2千万人もの命を奪った悲惨な戦争責任を悔い、日本国憲法前文には、「恒久の平和を念願し」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するとともに、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と宣言されています。
 私が小学校3年か4年生の頃、授業で「国の行為で戦争が始められた」こと、「日の丸」、「君が代」に象徴される全国民的な同調によって、戦争が起こされ、日本人310万人、日本の軍人によって、アジアの人々2千万人もの命を奪った戦争の事実をはじめて知り。その日、家で母親に「なぜ戦争に反対しなかったのか」と、責め。私自身はこの時以来、戦争は自分の身を張ってでも、戦争は起こさせてはならない。との思いで生きてきています。あわせて、その戦争の象徴として私の頭の中には「日の丸」「君が代」が定着しています。このこだわりこそ、他国に多大な損害を与えた日本国民の名誉ある地位を占める活動であります。
 議会は、様々な思想信条の方が、様々な角度から論戦をする場であり、その成果こそが多様性を増す未来の社会を大きく支える力です。
 最も自由であるべき、この議場に特定の考えを押しつけるものを、置くと言うことがどれほど、議会の品性を傷つけるものであるかを指摘し、日本国憲法の立場に立ち戻ることを強く願う立場から、陳情第21-2号 福生市議会の議場に国旗及び市旗の掲揚を求める陳情書について反対であることを表明し、本日不採択を主張するものです。

|

« 2008.3.議会陳20-11賛成討論原稿 | トップページ | 2009.3陳情第21-2号(参考掲載) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122921/44740554

この記事へのトラックバック一覧です: 2009.3.議会陳21-2反対討論原稿:

« 2008.3.議会陳20-11賛成討論原稿 | トップページ | 2009.3陳情第21-2号(参考掲載) »